夕方までは元気だったはずの娘。
でも、夜ごはんの時間になっても食べようとしない。
普段の様子からはちょっと考えられない反応に、「あれ?」と私の中に小さなざわつきが広がりました。
ごはんを食べない娘に、夫のやさしさ
眠いのかな?とお布団の部屋へ連れていくと、鼻が詰まっていて少し苦しそう。
咳も出ていて、痰が絡んでいる感じ。でも喘息っぽさはない。熱もなし。だけど、どうしても“元気がない”ように見えてしまうんです。
「なんとなく違う」
これ、親になってから何度も感じる“勘”のようなもので、正解は分からないけれど放っておけない感覚。
ほとんどごはんを食べなかった娘に、夫がぶどうジュースを持ってきてくれました。
すると、娘はごくごくと喉を潤すように飲んでくれて…。喉が渇いていたのかもしれません。
体調が悪いと、食べたくない・飲みたくない、そんなサインを子どもなりに出しているんですよね。
1時間ほどグズグズしてからようやく眠りについた娘。
今はぐっすりと眠っていて、ほっと胸をなでおろしています。
でも、結局今日はなんだったんだろう…?
安心して眠れる日は、きっともう来ない
そんな夜。
ふと、こんなことを考えていました。
「私はこの先、死ぬまで安心して寝られる日は来ないんじゃないか?」
別に後悔とか、悲しみとかじゃないんです。
でも、娘のことが気になって気になって仕方がない。
たとえ将来、娘が成長して自立したとしても。
私がそばにいなくても娘を守ってくれる人がいたとしても。
私は、母として娘のことをずっと気にかけていくのだと思う。
それはもう、理屈じゃない。
結婚したときに、「これからは自分ひとりの人生じゃない」と思った。
でも、子どもが生まれてからはその気持ちが何倍にもなった。
こんなに誰かのことを想うなんて、親になって初めて知った感情でした。
だから、どうか願わくば。
いつか死ぬ時には、もう何も心配することがなくて、「大丈夫だ」と思って安らかに眠れたらいいな、なんて思います。
春が来れば保育園も1年生
娘が保育園に通い始めてから、もうすぐ1年。
春にスタートして、秋ごろからは風邪を引く日々が続いて、本当にハラハラしました。
でも、きっとこうして少しずつ、娘の中に免疫が増えていってるんですよね。
鼻水が止まらなかったり、咳が続いたり、痰がからんで苦しそうだったり…。
見ているだけでつらくなることもあるけれど、少しずつ少しずつ元気に、強くなってくれていると信じています。
子どもが一番大切だと思える心
「自分よりも大切な存在ができる」
親になった人がよく言うこの言葉。
昔はピンと来なかったけど、今ならよく分かる。
娘が苦しそうだと、自分のことなんて本当にどうでもよくなる。
代わってあげられるなら代わってあげたいって、心から思う。
子どものためなら夜中でも起きるし、体調が悪そうなら眠れない。
育児って、ほんとうにそういうものなんですよね。
まとめ:願いはただひとつ「元気でいてほしい」
今日の娘は、元気なようでいて、そうじゃなかった一日。
小さな変化に敏感になってしまうのは、親として当然のことなんだと思います。
大げさかもしれないけど、こうして子どものことで一喜一憂する日々が、親としての成長でもあるのかもしれないですね。
娘が今日も明日も、元気で笑っていてくれたらそれだけで幸せ。
そしていつか、娘が自分の人生をしっかり歩いていけるようになるまで、私はそっと見守っていけたらいいな。
早く鼻水と咳と痰が落ち着きますように。
毎日笑顔で過ごせますように。
それでは、また。
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